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邪馬台国はどこにあったのか?

前回 伊能忠敬の測量について書きましたが、これに伴い古代史の本を読んでいて思ったことなど。

邪馬台国はどこにあるか?】

邪馬台国の場所について代表的な説として「九州説」「畿内説」の二つがある。

魏志倭人伝」の中で邪馬台国の場所について記述があるが、そのままの方位と距離を進むと海のなかに進んでしまうため

・方位を正しいとした九州説

・距離を正しいとした畿内

の有力な2説があります。その後九州説は榎一夫説によって距離も正しくとれるとしています。また距離方角の面以外にも三角縁神獣鏡などの論拠があることも付け加えておきます。

 

【測量について】

伊能忠敬の正確な測量を支えた方法として導線法、交会法、横切り測量があったと書きました。

「導線法」は距離を歩測(または縄などで)距離を測り、曲がり角ごとに角度をはかることで測量を行うものです。

伊能忠敬以前から使用されており田畑の大きさを調べるのに使われたりしました。

ただこの導線法には問題があり距離においてはある程度正確性があるものの、方角については大きくはずしてしまう可能性があります。

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図のように1ヶ所に誤差がある(もしくは間違う)と、あとの曲がり角 距離が正確であってもまったく違う場所を指してしまいます。

さらに誤差が複数あった場合それらが累積され、まったく違う場所を指してしまうことになります。

これをふせぐ方法として「交会法」が使われ、これは目標物からの角度を測るというものでした。昔は山を目標物していたようです。

つまり測定者が正確に距離と方角を記したつもりでも、方角についてはまったく違う場所に出てしまう可能性があるということです。

 

 

以上の理由から交舎法や他の方法で測定していない限り、方位を正しいとした九州説は否定されます。

ただ方位以外の論拠もあったり、当時の方位の測定法も調べないと正しいことはいえません。機会があったらこれらも検証してみたいものです。